長くなりますが、日本温泉地域学会の出した、時間湯の声明文を掲載させていただきます。

 

草津温泉の歴史文化資産「時間湯と湯長」廃止について

 

日本温泉地域学会創立の地・草津温泉

 日本温泉地域学会は2003(平成15)年5月、群馬県草津温泉で創立しました。主に人文社会科学分野から温泉地域を研究する目的で設立された初の学会です。以来毎年2回、研究発表大会・研究会の開催と学会誌を刊行し、自然科学や温泉医学の研究者も加わる学際的な学会となっています。2004年からは草津町後援で毎年秋に草津温泉観光士養成講座を開催し、700名を超える温泉観光士が誕生しています。2019年3月に刊行した『新版 日本温泉地域資産』にも、「湯畑と歴史的町並み」「時間湯入浴法」の2件を日本が誇る温泉地域文化資産に、「強酸性源泉と棲息藻類」を同自然資産に選定しました。当学会は温泉地に寄り添い、温泉資源や歴史文化資産を地域振興に活かすことを提言しています。その観点から草津の地蔵の湯改修を発端とした湯長と時間湯をめぐる動きを深く憂慮するものです。

 

高温源泉浴管理の重要性--湯長廃止と時間湯有名無実化の問題点

 草津町は本年7月2日、「時間湯問題について」ちらし(以下、町ちらし)を配布し、地蔵の湯と千代の湯の2町営浴場で行ってきた時間湯の湯長制度を廃止し、時間湯の48℃の高温浴は危険なので42℃以下にする、と発表しました。湯長を伴う時間湯は1869(明治2)年の記録(石坂白亥著『白根紀行』)がありますから、150年近い経験知にもとづいています。日本の近代温泉医学を開いたベルツ博士以後、東京大学医学部物療内科を中心に医学研究による湯治効果の解明が時間湯を支えてきました。ヨーロッパ諸国では研究怠りない温泉医学と公的保険に支えられて温泉療法を継続し、日本でも環境省が「新・湯治」を提唱・推進しています。こうした中、町ちらしが示す廃止「理由」は唐突で、主にインターネット掲載の「時間湯Q&A」を根拠とし、時間湯の現状や当事者の湯長、湯治関係者との話し合いをふまえたものではありません。以下、廃止「理由」の問題点を指摘します。

1【温泉の適応症を記載することは薬事法(現・薬機法)に抵触しない】

 温泉利用施設は、温泉法第18条第1項規定にもとづく禁忌症及び入浴又は飲用上の注意の掲示が義務づけられ、療養泉の一般的適応症と該当泉質別適応症の掲示が認められています。療養泉の一般的適応症は幅広く、泉質別では酸性泉の浴用で「アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、耐糖能異常…」と適応症を列挙でき、記載すること自体に「資格」はありません。温泉旅館や施設HP・案内にはオーバーな列挙や間違い例もよく見かけますが、薬事法(現・薬機法)をもってこれを「許されない」とあげつらうことはありません。

2【湯長の業務は入浴現場の管理指導で、医療行為に当たらない】

 時間湯利用者は申込み前に基本的に、草津町の布施医院など温泉療法医の診断を受けることが求められています。ヨーロッパの温泉療養施設も同様で、その上で現場では療法士らが療養客の入浴や飲泉療法をきめこまかく指導します。日本では通常の湯治では介在しませんが、高温源泉浴を伴う時間湯は現場で入浴管理を指導する人=湯長を必要としてきました。その指導は医療行為にあたらず(医師法違反ではなく)、これまでそうした指摘も問題もありません。これは体育やスポーツ現場の指導者が競技者の体調を確認し、熱中症や脳しんとう等の疑いがあれば競技をやめさせるなどの監督業務と同じで、診察(問診)とはまったく別物です。

3【「時間湯=高温泉浴(48℃)」ではない】

 町ちらしは、「時間湯=高温泉浴(48℃)」と断定した上で、草津本来の高温源泉の恵みと多様性を捨象し、「48℃」という泉温を標的に高温入浴の危険性一般を湯長廃止の「理由」としています。しかし実際は、湯長の采配による新鮮な源泉の「湯もみ」によって、最高48℃から38℃まで湯治者の状況に合わせた適切な湯温に整えています。

4【高温源泉浴のリスク管理にこそ湯長は欠かせない】

 町ちらしは、元群馬大学草津分院長の話をもとに高温浴の危険一般を強調し、「時間湯を42℃前後以下にする」としています。しかし一般家庭の42℃前後の風呂で交通事故並みに入浴事故が起きている事実や、草津でも旅館入浴中の事故が多かった一方で、湯長が管理する時間湯では事故が起きていない事実を無視しています。最高温48℃は時間湯の入浴泉温の一つに過ぎません。また、温泉浴が多幸感につながるβエンドルフィンを促すことはよく知られ、温泉浴の魅力の要因でもあります。それゆえ長く高温浴しないようにリスク管理するために編み出されたのが、湯長の指導で「3分」と時間を限って入浴する時間湯でした。しかも日本でもようやく環境省指定の国民保養温泉地を筆頭に温泉地に「入浴方法の指導ができる人材の配置」が求められるようになっており、時代と逆行しています。

 

新鮮な源泉が迎えて湯治ニーズにも応えられる温泉地こそ観光客が集う

 高温源泉浴の効果についても、白倉卓夫群馬大学名誉教授の「草津温泉の医学」(1997、2008年、白倉卓夫編著『草津温泉』)ほか興味深い内容がすでに発表されています。時間湯の作用については未解明な部分もありますし、これからも湯治ニーズや医学研究によって変化はあると考えます。それでも湯長の管理により、最高温の48℃に限らず多様な泉温で水増ししない新鮮な源泉を提供できている大切さを軽視してはならないでしょう。

 時間湯は、湯長が湯治者と一緒に湯もみする過程で湯治者の体力・体調をも確認し、高温から中温に至る1℃刻みの泉温を提供できるという、無形文化遺産的な湯守の技を守り育ててきました。強酸性のみならず豊富な有効ミネラル成分を有する草津の特色ある新鮮な高温源泉をもとに、刺激や溶存成分をまろやかにして湯治者に合った泉温にする湯もみ、「湯かぶり」、時間を限った反復交互入浴、それらを指導する湯長の存在。どれひとつ欠けても歴史文化資産たる時間湯とは言えません。これでは熱乃湯の湯もみも廃止です。湯長=入浴指導管理者を生み出してまとめられた伝統的湯治法こそ草津の時間湯です。

 町ちらし後も、時間湯湯治中のアトピー患者をはじめ湯治客の声を聞かずに事が進んでいます。北海道豊富温泉が町を挙げて「アトピー患者の温泉療養の聖地」として受け容れる姿とは真逆で、湯治客排除につながりかねません。観光人気があって観光客さえ来れば良いと考えているとしたら、大きな誤りです。湯治客が集うことは、温泉地に新鮮な特色ある源泉、本物の温泉が提供されていることの証(あかし)。湯治効果も知られるからこそ観光客も深い信頼と期待を寄せて訪れるのです。また、この間の町の措置には個人攻撃的な面が目につきますが、本来平和で安らぎ、すべての人を受け容れる懐深い温泉地の本質とは相容れません。このままでは草津人気も砂上の楼閣になるのではと危惧します。

 最後に、日本温泉地域学会は、湯長制度を含む伝統的時間湯の存続を切に望むものです。

 

          2019年8月             日本温泉地域学会