草津の新名所「裏草津」に広場などが完成 新たな名所に

湯畑の裏に公園が完成

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 群馬県草津温泉といえば、たくさんの湯が流れている町の中心地、湯畑は有名だが、その周囲に建つ大きな旅館の大東館の裏手に当たる地蔵地区は、観光客が押し寄せないひっそりとした空間である。

 

 その地蔵地区の地蔵堂、地蔵の湯の周辺を整備してゆったりとくつろげる空間ができたというのが今回のお題である。

 

 もともと、ここには地蔵の湯、足湯、地蔵の公園はあった。それをすべて一新して新しい草津の名所にしようというのが、今回のプジェクトである。

 総工費2億6千万。

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 足湯は以前のものを新たに作り直し手洗い場を併設し、地蔵の源泉には屋根を付け、目洗い場を新設、地蔵の湯の横に階段を付けてその上の空き地に、まんが図書館、カフェを作った。

 その上の空間はデッキ、ベンチ、そして棚田上の植え込みを整備して、夜にはライトアップを施してある。

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開放感のある作り

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湯畑整備と同様の建築デザイン事務所が手掛けているため、統一感はある。

 

 こうしてきれいに整備されることは、観光にとっては新しい観光スポットとして期待できるだろう。作りはニュースソースを見ていると、それほど人の入込は期待せず、くつろげる空間を作りたかった模様だ。

 

 採算度外視で公共施設を作れるのだから、草津温泉は恵まれているのだと感じることができるだろう。

  

 本来であれば、高台のカフェに業者を入れてオープンをしたかったようだが、この不景気に応募もなく、引き続き募集をするらしい。家賃や利用については話し合いでまとめるそうだ。

草津温泉「地蔵高台施設等」指定管理者の募集について | 草津町

 

 

地蔵地区とは

 

 そもそも、地蔵区とはどういった場所なのであろう。古くは、時間湯という湯治場を中心に湯治宿や置屋があった場所と聞いている。

 時間湯は、草津伝統の湯治法であり、高温に3分間の入浴をして、それを繰り返すことにより体を治していくという手法である。この地蔵の時間湯はつい最近まで行われていたようだが、町長の政策に合わなくて、今は行われていないらしい。時間湯のあとは貸切風呂にする予定だという話だ。

 

 そしてその地蔵の源泉を見守っているのが地蔵堂である。屋根が出来て見えにくくなってしまったが、地蔵堂は地蔵地区のシンボルであり、目あらい地蔵があるように目の病気に効くという言い伝えがある。

 

 つまり、これも湯治にまつわる歴史があるといえよう。湯治が流行れば、その人の流れで湯治宿も流行るということで、地蔵区には多くの湯治宿があったらしい。

 

 今の地蔵の湯のところには山田屋という、山本一太知事の実家があったというし、道を大滝の湯へ降りていく両脇には湯治宿が並んでいたそうだ。人の行きかいも多く、今よりも賑わっていたらしい。

 

 そして地蔵から急坂を下った今の大滝の湯のあたりには、ハンセン病患者の集まる湯ノ沢地区があったそうだ。

 つまり、この地蔵の地区というのは古くは、湯治としての中心地であり、多くの湯治客でにぎわった場所であり、その名残が時間湯であり、地蔵堂である。

 

 今ではその面影はなくなってしまったが、地蔵の湯の隣にある月洲屋がかろうじて当時の湯治の雰囲気を伝えている。

 

今後の地蔵地区はどうなっていく。

 

 地蔵の観光スポットがリニューアルしたことで、ある程度は人の流れが期待されるところだが、言われているようにゆっくりと癒される空間であるというコンセプトから、多くの人を集めて、賑わうということはないだろう。

 また場所的にも広さはなく、ゆっくりと散歩でもしてくつろぐという使い方になる。

 

 足湯をして、地蔵の湯につかり、カフェでくつろげれば観光客のニーズにはとりあえず合致するかもしれない。

 

 しかし、裏を返せばそれだけである。

 

 この地蔵区に関しても、コンテンツとしての魅力が足りない印象だ。

 まさか、この整備で終わりということもないだろうがいかがだろうか。

 

 結局のところ、いくらきれいにしようが、癒される空間にしようが中身が伴わなければ、うわっ滑りしているだけになってしまう。

 

 それは何故なのだろうかと考えた時に、やはり歴史を継承していない建造物、知的好奇心を満たすのに不十分な施設だと考える。

 なぜ、まんが図書館なのだろうか、何故百年石の制作なのだろうか。地蔵堂とのつながりがそこにはあるのだろうか。草津にゆかりがある漫画家というが、どのようにかかわりどのような歴史があるのか。 湯治場としての伝統は何処に見られるのだろうか。リラックスとか癒しというあいまいな表現で草津温泉を語ってしまうと日本一の温泉への軽薄感が出ると感じてしまう。

 

 そいうしたものの説明が十分にはなされていないことに普通感を覚える。

 

 癒しを標榜するなら、当然湯治とのつながりが突出している場所として飛び出たものがあるのかといえば、そこはトーンダウンしている。

 時間湯もなくしてしまったので、そのあたりに何か、意図するところがあったのだろうか。

 

 草津のテーマーパーク化という新しい試みをしたかったのかもしれないが、現時点では普通のきれいな公園の域を出ていない印象だ。

 

 今後の展開に期待をしたい。