
草津町で番狂わせの政権交代が起きる!
2026年1月18日、全国屈指の人気温泉地・群馬県草津町で町長選挙が行われた。
結果は、元町議会議長で新人の宮崎公雄氏(66)が1,725票を獲得し、5選を当然視されていた現職町長・黒岩信忠氏(78)を1,617票、わずか108票差で破るという結末だった。
4期16年にわたり町政を率い、強いリーダーシップを誇ってきた黒岩氏。
観光客数は過去最高を更新し、「草津をここまでにしたのは自分だ」という評価も、少なくとも陣営内では疑われることはなかった。
選挙戦前、再選を危ぶむ声はほとんど聞かれず、敗北を想定していた者はさらに少なかった。
しかし、ふたを開けてみれば、両社譲らずの大接戦。最後に残ったのは元町議の宮崎氏だった。黒岩陣営にとっては「勝つはずだった選挙で、なぜ負けたのか」という説明の難しい現実だった。
午後9時半ごろ、落選が確実となり選挙事務所に姿を見せた黒岩氏は、「すべての責任は私にある。本当に申し訳ございませんでした」と支持者に頭を下げた。
敗因については、「多選、そして高齢であることが相手方の攻撃材料になった」と語ったという。
だが、有権者が突きつけたのは「年齢」や「回数」だけだったのか。108票差という数字は、慢心と読み違いへの請求書だったのではないだろうか。
16年続いた黒岩政権の終焉
これまで4期16年にわたり、草津町の行政のかじ取りを担ってきた黒岩信忠町長。
在任中、町の象徴である湯畑周辺の再開発を中心に、観光と景観を軸とした町づくりを推し進めてきた。
湯畑では、湯治広場の整備、茣蓙の湯・熱の湯の建て替えを実施。さらに、地蔵広場の再整備、町の玄関口となる温泉門と高架橋の建設、そこから湯畑に通ずる道路の整備など、来訪者の導線を意識したインフラ整備が行われた。
また、夜間の観光演出としては、湯畑、西の河原、地蔵広場のイルミネーション整備を導入。昼夜を問わず観光客を引きつける空間づくりは、写真映えやSNS拡散の面でも一定の効果を上げ、草津温泉のブランド力向上に寄与したとされる。
生活基盤の分野では、天狗山駐車場トイレの整備、こども園の創設、給食無償化、自分の支持者への融雪道の整備など住民向け施策も進められ、防犯対策としては、町内各所への防犯カメラ設置、さらに湯畑の様子を確認できるライブカメラの設置など、観光地ならではの安全対策が講じられた。
一方、温泉供給という町の根幹を揺るがしかねない事態も起きている。
万代鉱の配管破損による温泉供給量の低下が発生した際には、町内の地元企業が復旧作業の中心を担い、黒岩町長はその調整・指揮にあたった。関係各所との連携を取りながら、供給体制の立て直しに奔走した対応は、行政トップとして一定の評価を受けた。
このほか、町内道路の融雪工事なども進められたが、地域によって整備の濃淡があり、「観光エリア優先」「特定地域への配慮が目立つ」といった声が上がったのも事実だ。
こうした町政運営のもと、草津温泉は全国的な温泉ブームやインバウンド需要という時流にも後押しされ、年間入り込み客数400万人規模を記録するなど、数字の上では過去最高水準に到達した。
議会の変質――排除と沈黙が生んだ統治構造
黒岩町政を語る際、もう一つ看過できないのが、議会の人間関係と権力構造の変化である。かつて黒岩町長と町長選を争った故後藤元町議は、草津町の慣例を破って町長選に出馬した初当選時の最大のライバルだった。
選挙に敗れた後も再び立候補したが再選はならず、その後、仕事、人脈、金銭面での基盤を次々と失い、最終的には黒岩町長の軍門に下らざるを得なくなった。また、元側近の一人であった桜井元町議も例外ではない。
町政運営を巡る意見対立や税金問題をきっかけに距離が生じ、最終的には切り捨てられる形となった。
桜井氏本人だけでなく、その周囲の議員仲間も次の町議選への立候補を断念せざるを得なくなった。
さらに、今回町長に当選した宮崎公雄氏も、かつては黒岩町政と対立した一人である。泉水通りにおける新築旅館建設を巡る景観条例問題で意見が衝突し、その後の町議選では立候補を断念している。このように見ていくと、黒岩町政には、たとえ身内であっても、意見を異にする者は容易に排除する非情さがあったと受け止める町民は少なくない。
一方で、例外的な存在もあった。町議でも政治家でもない、観光公社職員であった時間湯の湯長、井田湯長である。
地蔵地区の湯治客と湯長の意向を振り切って進められた再整備において、強い抗議と対立が起こったいわゆる時間湯問題で、井田湯長は事実上の引退に追い込まれたが、町民の中には
「それほどまでに政治的影響力を持つ人物として恐れていたのではないか」と見る向きもある。井田湯長は、時間湯の地位向上と入湯客の立場に立った時間湯づくりに尽力した人物であるが、立場を超えてものを言える人物であり、湯治客のためならば政治的な言動もいとわなかい正義の人だった。しかし、町議でも政治家ではない人物にまで強硬な対応が及んだことは、黒岩町政に逆らうものはすべて排除の統治姿勢を象徴する出来事として記憶されている。
排除の果てに残った議会はどうなのか? 黒岩町長に異を唱える議員は次々と議会から姿を消していった。結果として残ったのは、町長に異議を唱えない議員たちである。
本来、議会に求められる
行政の監視
政策の是非を問う議論
首長権力への歯止め
といった機能は次第に形骸化し、町民の中には
「議会はイエスマンしかいなくなった」
「行政監視が失われた」と感じる者も増えていった。中には、「まるで中国共産党の独裁政治のようだ」と表現する町民すらいたという。
新井元町議という毒薬、完全勝利の黒岩町長だが
草津町で起きた一連の「虚偽告発事件」は、単なる個人間の名誉毀損事件にとどまらず、町政運営、政策判断、そして選挙そのものに長期的な影響を残した。
2019年11月、当時の新井祥子町議が黒岩信忠町長から過去に性被害を受けたと電子書籍『草津温泉 漆黒の闇5』において告発したことを発端に、草津町は全国的な注目を浴びることとなった。
全国的な報道フラワーデモなど象徴的な抗議行動が行われ、SNSで拡散された断片的情報が錯綜する事態となった。
結果として、民事・刑事の両裁判で告発内容は虚偽と認定され、新井氏は有罪判決を受けたが、その過程で町政が被ったダメージは決して小さくなかった。
事件が表面化して以降、町政は長期間にわたり「守勢」に回ることを余儀なくされた。観光政策、景観条例、温泉資源管理など、本来であれば積極的な議論が求められる分野でも、外部からの批判や施策においても慎重な判断が求められるようになった。
とりわけ、女性問題・人権問題という社会的にセンシティブなテーマと絡んだことで、町は「何をしても誤解されかねない」という空気に包まれ、結果として行政判断のスピードが鈍化したとの指摘がある。
町議会では、事件を境に対話よりも立場の確認が優先される構図が強まった。告発を「事実」と信じる立場と、「虚偽」と疑う立場が先鋭化し、政策論争よりも人物評価や感情論が前面に出る場面が増えた。
直接の争点ではなかった、しかし消えなかった記憶
今回の選挙戦において、虚偽告発事件は正面からの争点にはならなかった。裁判はすでに決着し、告発は虚偽と認定され、刑事責任も確定している。表向きには「終わった話」である。
しかし、有権者の意識は必ずしも法的決着と同調するわけではない。
一連の事件は「訂正」よりも「印象」として記憶に残りやすく、黒岩町政=あの事件の時代という無言の連想を、少なからぬ町民の中に残したのではないか、黒岩町長は完全に被害者である。しかし、もう有権者のあんな騒ぎはこりごりだという気持も影響し、波風を立てない人物を選択という空気を生み出していたのかもしれない。
議会の変質と選挙手法――排除、情報統制、そして時代との齟齬
黒岩町政を語る上で、議会構造の変化と並んで見逃せないのが、選挙を見据えた情報発信とその手法である。
黒岩町長は在任中、新聞折り込みや町の広報紙を通じて、自身の政策や成果を積極的に発信してきた。しかし選挙が近づくにつれ、その内容は町政報告の域を超え、実績アピールや反対勢力への批判と受け取られかねないものが増えていった。
公選法違反ぎりぎりではないかと受け止められる表現「町の広報」を名目としながら、実質的には首長個人の成果を前面に出した内容選挙直前まで続いた新聞折り込みの頻度である。
これらは新聞折り込みにとどまらず、町の回覧板にまで入れられ、配布された。
町民の中には
「これは行政広報なのか、選挙対策なのか」と違和感を覚えた者もいた。
生活応援政策と“見え透いた前倒し”一方で、黒岩町政下では生活応援策としての商品券配布が過去9回にわたり実施されている。物価高が続く中、町民にとってこれは実際に「助かった」という声が多く、政策そのものへの評価は高い。
しかし今回の選挙を前に、配布時期の前倒し、広報との連動が行われたことで、
「選挙を意識した動きではないか」
「さすがに露骨すぎる」と捉えられた可能性は否定できない。
善政であったはずの施策が、タイミングによって疑念を招いてしまった点は、結果的にマイナスに働いたとも考えられる。
情報統制には長けていたが…
黒岩町長は、各新聞社との関係構築や情報提供の巧みさでも知られていた。
どの情報を、どのタイミングで、どの媒体に出すか――情報をコントロールする能力には長けていたと言えるだろう。
その一方で、今回の選挙では、新人の宮崎公雄氏がYouTubeなどのネット媒体を活用し、従来とは異なるアプローチを見せた。結果として、紙媒体・折り込み中心の黒岩陣営ネットを使った宮崎陣営という対比が生まれたが、ネット戦略においては、黒岩陣営が時代の変化にやや乗り遅れていた印象は否めない。有権者4884人の町で起きた「静かな拒否」高齢者が多い町とはいえ、「多選」「78歳という年齢」
に対する拒否感が、特に若い世代を中心に広がっていた可能性はある。
また、旅館業出身の宮崎氏は、「旅館から町長へ」という草津町の伝統的な系譜に連なる人物でもあり、その点では“主流派”として受け入れられやすい側面もあった。
宮崎氏本人への評価は決して高いとは言えないものの、町民の中には
「宮崎が良いというより、今の町長よりはまし」
「これ以上同じ体制が続くのはどうか」という消極的選択をした層が確実に存在したとみられる。僅差108票が示したものこうして振り返ると、今回の町長選挙は
排除によって変質した議会
行政と個人の境界が曖昧になった広報
善政であっても疑念を招いたタイミング
時代との微妙なズレ
これらが積み重なった末の、108票差だったと見ることもできる。それは宮崎氏への積極的支持というより、黒岩町政への「これ以上は違う」という静かな意思表示だったのかもしれない。
時間湯問題と「温泉文化」――草津が自ら手放したもの

黒岩町政の影の部分を語る上で、もう一つ決定的に触れなければならないのが、時間湯の事実上廃止が、群馬県および国が進めてきた「温泉文化」の世界無形文化遺産登録構想に与える影響である。
令和7年11月28日、文化庁の文化審議会無形文化遺産部会において、「温泉文化」は、令和7年度のユネスコ無形文化遺産への新規提案候補として正式に選定された。同日、無形文化遺産保護条約関係省庁連絡会議でも提案案件として了承され、日本としては令和12年ごろの登録を目標に、本格的な審査プロセスに入る見通しとなっている。
この「温泉文化」は、単なる入浴行為ではなく、自然の恵みである温泉を共同体の中で分かち合い心身を癒やす社会的慣習。として定義されており、その核心には「長い時間をかけて地域に根付いてきた入浴様式」や「担い手によって継承されてきた実践」がある。
群馬県はこの流れを主導する立場にあり、「温泉文化」ユネスコ無形文化遺産登録を応援する知事の会(事務局:群馬県)は、有識者による検討会を設け、温泉文化の定義、担い手、保護措置に関する調査研究を進めてきた。
その成果として公表された『ユネスコ無形文化遺産登録に向けた日本の温泉文化についての調査報告書』は、文化庁の公式資料としても位置づけられ、登録審査における基礎資料として活用されている。
日本の温泉文化とその担い手
https://www.pref.gunma.jp/uploaded/attachment/678542.pdf 【群馬県HPより】
草津が持っていた「切り札」
ここで皮肉なのは、草津温泉こそが、この「温泉文化」を体現する最重要地域の一つだったという事実である。なかでも、湯治という長期滞在文化、共同入浴を前提とした入湯作法。湯長による温度管理と儀式性を色濃く残していた時間湯は、全国的にも類例の少ない、「温泉文化」の象徴的存在だった。
もし時間湯が継承され、形を変えながらも「生きた文化」として存続していれば、
草津は温泉文化ユネスコ登録における“顔”、日本を代表する実例として、圧倒的な説得力を持ち得たはずである。しかし、草津はそれを自ら閉じた。
黒岩町政下において、地蔵地区再開発をめぐる反対運動への対応の一環として、時間湯は突然廃止され、伝統湯」へと移行された。湯長は事実上引退に追い込まれ、湯治文化の担い手は断絶した。形式上は「保存」の名が与えられたが、実態は、湯治客のいない展示的施設、無料提供から有料化への方針転換、という、文化としても、観光資源としても中途半端な存在となっていった。
「担い手の存在」
「実践としての継続性」
という観点から見れば、これは明らかに後退である。群馬県が県を挙げて「温泉文化」を世界に押し出そうとする一方で、その象徴になり得た草津町が、
最も重要な文化要素を自ら断ち切っていた。この矛盾に、違和感を覚えた関係者は少なくない。時間湯の廃止は、単なる施設運営の問題ではなく、文化政策としての判断
世界に向けた説明責任、未来への継承意識、これらを欠いた決断だったと言われても仕方がない。
今回の町長選挙において、時間湯そのものが争点として前面に出たわけではない。
しかし、伝統を軽んじたのではないか、観光の数字だけを追ったのではないか、草津らしさを失わせたのではないかという不満や違和感は、確実に町民の中に蓄積していた。それは、
排除によって変質した議会
広報と選挙の境界が曖昧になった町政
そして、文化より効率を優先した判断
これらと重なり合い、108票という数字となって現れた可能性がある。
こうして振り返ると、黒岩町政の終焉は、単なる政権交代ではない。それは、16年続いた強いリーダーシップの限界。時代とのズレそして、草津が本来持っていた文化的優位性を手放した結果でもあったのではないか。
町はこれから、新町長・宮崎公雄氏の時代において、政治・文化の側面から改めて未来に向けての方向性を問い直すことになるだろう。
草津町政の転換点
宮崎公雄(みやざき・きみお)氏は1959年、群馬県草津町生まれ。草津小学校、草津中学校を経て、東京農業大学第二高等学校を卒業。拓殖大学短期大学部、東京観光専門学校で観光分野を学び、在学中にはスイス研修も経験している。
1983年から株式会社ホテルみゆきに携わり、現在は代表として「ホテルみゆき」「みゆき別館」など草津温泉の旅館経営を行っている。観光業の現場に長く身を置き、地域経済と観光振興に直接関わってきた。
政治面では1991年に草津町議会議員に初当選。以後2022年まで8期32年にわたり町議を務めた。議会では議長、総務常任委員長、監査委員、公営観光事業対策特別委員長、温泉温水対策特別委員長など主要ポストを歴任し、町政運営の中枢に関わってきた。
また、消防第二分団長、草津温泉観光協会理事、草津温泉旅館組合副理事長・理事、草津町商工会理事などを務め、観光・防災・商工分野を横断する地域活動にも携わっている。
長年の議会経験と観光業の実務を併せ持つ点が、今回の町長選で評価されたとみられる。
「対話」と「町民力」を掲げた宮崎町政は、草津を変えられるのか
新町長・宮崎公雄氏が打ち出した町政ビジョンの中心にある言葉は、「町民力」と「対話」である。
温泉・自然・文化という既存の観光資源に依存するだけでなく、人口減少や少子高齢化という構造的課題に、町民参加型で立ち向かう姿勢を明確にしている点は、16年続いた前政権との差異を意識したものだろう。
もっとも、「町民が主役」というフレーズは地方行政において決して新しいものではない。
問われるのは、それが理念にとどまるのか、制度と予算に落とし込まれるのか、という一点に尽きる。
教育政策――理想は高く、現実は重い
小中一貫教育やICT活用、教師の働き方改革といった教育分野の施策は、国の方向性と軌を一にしており、特段の突飛さはない。一方で、関係者の合意形成が不可欠なテーマを複数同時に進めようとしており、町の規模を考えれば調整コストは決して小さくない。
特にタブレット活用については、「配ったが使われていない」という全国共通の課題を正面から認めている点は評価できるが、環境整備と人材育成にどこまで踏み込めるかは未知数だ。
子育て・人口対策――「正論」の先に踏み込めるか
経済的支援、公園整備、防犯、移住定住促進と、現役世代向け政策は一通り出そろっている。ただし、どれも「必要だが決定打になりにくい」施策であることも事実だ。
給付型奨学金や移住支援は歓迎される一方、人口減少という長期トレンドに抗うには、雇用・住宅・教育を束ねた戦略性が求められる。
個別施策の寄せ集めに終わるのか、一本の線として機能するのかが試金石となる。
高齢者政策――現実を見据えた現実解
高齢者見守りやAI活用といった分野では、比較的現実的なアプローチが目立つ。
「支援が必要になる前に何ができるか」という視点は、財政制約のある町にとって理にかなっている。
一方で、AI機器導入などは費用対効果やプライバシーへの配慮が不可欠で、町民の理解を丁寧に得るプロセスが欠かせない。草津町は依然としてDX化が浸透していない町であるが故、民生委員との協力、ボランティアの確保など、どこまでアナログとの融合ができるかがカギとなるだろう。
結局、問われるのは「実行力」宮崎町長の政策全体を貫くのは、「聞く政治」への回帰である。
強いトップダウン型だった前町政への反動としては分かりやすいが、対話を重ねるほど意思決定は遅くなるというジレンマも抱える。町民力をどう引き出し、どこで線を引くのか。4年間で成果を示せなければ、前町長の再登板を含め、再び町政は流動化する可能性も否定できない。
「変える」と言うのは簡単だ。難しいのは、「変えた」と数字で示すこと――宮崎町政の真価は、そこにかかっている。
多選の終焉と次の4年間の重圧
4期16年にわたり草津町政を率いてきた黒岩信忠前町長は、湯畑再開発を核に、湯治広場、茣蓙の湯、熱の湯の建て替え、温泉門や高架橋整備、地蔵広場の再整備など、観光とインフラの両面で町の姿を大きく変えた。在任中、観光客数400万人を記録したことは象徴的な成果であり、時流に乗った施策展開が功を奏した面は否定できない。
万代鉱の配管破損による温泉供給低下という非常事態では、地元企業と連携し復旧対応を指揮。湯畑イルミネーションや防犯・監視カメラ、ライブカメラ設置など、観光演出と安全対策を両立させた点も評価されてきた。
一方で、町政後半は統治手法への疑問も強まった。新聞折り込みや町広報を通じた度重なる実績アピール、反対勢力への批判的表現は、行政広報と政治活動の境界を曖昧にした。商品券配布を含む生活支援策も町民には歓迎されたが、選挙直前の前倒し実施は、選挙対策と受け取られた可能性がある。巧みな情報コントロールの裏で、町政の閉鎖性や多選への疑問が漂っていた。
また、数年前から続いた虚偽告発事件の影響を無視することはできない。事件そのものが直接の敗因とは言い切れないものの、全国的な注目と長期化は町政を防御的にし、説明に追われる時間を増やした。その結果、有権者の間には言葉にされにくい「疲労感」が蓄積していった。事件が町長を倒したのではないが、町政の文脈を変え、その文脈が選挙結果に影を落とした――そうした間接的因果関係は否定できない。
そうした空気の中で誕生したのが、新町長・宮崎公雄氏である。旅館経営者として草津観光の現場を知り、32年に及ぶ議会経験を持つ一方、決して万人受けする人物ではない。それでも「現状維持より変化を」という消極的支持が、わずか108票差という結果を導いたと見る向きは多い。
ただし、この選択は白紙委任ではない。宮崎町政に与えられた時間は実質4年間のみであり、温泉施策、教育、子育て、人口減少対策といった生活に直結する分野で、明確な成果を示せなければ、再び政権の座を失う可能性は高い。草津町は有権者数4884人の小さな自治体であり、評価は早く、手厳しい。そこに108票差の信認という現実がついてまわる。
さらに見逃せないのは、敗れた黒岩前町長の再登板の可能性である。僅差の敗北は「完全否定」ではなく、依然として一定の支持基盤が残っていることを示している。新町政が迷走すれば、経験と実績を武器に再び表舞台に戻るシナリオも現実味を帯びる。
草津町は今、多選型リーダーシップの終焉と、短期決戦型町政への移行期にある。
この4年間は、新町長にとっては試用期間であり、前町長にとっては再起のための待機期間でもある。
町民が下す次の審判は、すでに始まっている。