あらたな草津のイベントおさ湯。しかし、伝統は崩壊していく。

 

 おさ湯という新たな湯もみショー

 

 コロナウィルス蔓延による観光客の減少に歯止めをかけようと、草津温泉ではまた新たなイベント施設ができるようだ。

 そちらがこれだ。

 

 

 さるが行う湯もみのイベントである。さるに湯もみをさせて観光客を集めるという試みであるが、こちらはその昔、草津熱帯圏で行われていたサルのショーを新たに湯もみとして加えたものといえよう。

 ここではカピバラもいるようで動物に触れあえるということが売りになるらしい。入場料は1Fと2Fに分かれているようで、共通は1000円となる。

 草津と言えば、湯もみというように観光客でも草津の名物として知られている。プロデュースとして日光猿軍団の関係者がかかわっているようだが、果たしてうまくいくのか気になるところだ。

 

 ただ、このチラシで気になるところは、伝統的入浴法”湯もみ”と書いてあるところ。これは明らかな間違いで、伝統的入浴法は “時間湯” であり、湯もみはそこで行われていた技法。湯もみは湯治をするための手段にすぎないのだが、それを伝統的入浴法と言っていることは時間湯を知らない人が書いたかあるいは、

 黒岩町長の伝統湯への刷新でどう表現していいのかわからない末にこうなったのだろう。

 

 

ホテル櫻井の湯もみショー

 草津の中でも、湯もみもどきは各地で行われている。このホテル櫻井で行われているのも、湯もみのショーであり、実際には湯お揉んで下げる技術でもなければ、正しい揉み方でもない。ただ見せるだけに特化した、いわば演出だけの湯もみである。

 それでも初めて見る観光客にとっては楽しめることだろう。

 

 

 

 

 熱の湯の湯もみショー

 

 この熱の湯の湯もみについても、熱の湯が時間湯としての営業がなくなってから、湯もみのショーとしての伝統はある。しかし、これも湯もみの技法ということについてみれば、見せかけの湯もみである。

 実際の湯を下げるだとか、湯を整える昔のもみ方ではない。

 あくまで歌と踊りが中心であり、湯もみに関してはこんな感じで揉んでいましたということである。そうした意味で草津では湯もみをどのようにとらえているかよくわかる場所である。

 

 

 

 本物の湯もみ

 こちらは実際に湯もみをしていた現場での揉み方である。ショーとの違いは一目瞭然であろう。こうした揉み方は伝統として伝わってはいたが現在は、町として保存には動いていない。おそらく伝統も途絶えるだろう。

 

 湯もみをショー化するの事の弊害

 

 この草津名物の湯もみとは、伝統的湯治法の時間湯から発生したものだ。明治の末期に桂燕玉という講談師が、草津で湯治を行っていた際に、大きな板を使い。集団で一斉に湯をかき回すことで温泉の質を下げず、湯に入れる温度にした。その際に音頭を取っって歌い湯を揉んだのが起こりとされている。

 しかし、ご存知のように草津の湯はかなりの高温のため、湯を揉むにしても相当気合を入れて揉む必要があった。

 その湯もみは今やっているような湯もみでは到底できないやり方であり、湯を下げるにとどまらず、どうやったら心地よい入湯をできるかを書く時間湯で競い合った末に湯もみの技法も数多く生み出された。

 しかし、現在では時間湯はなくなり、温度が下がったという理由で湯もみをおざなりにして、その技法はいまや受け継ぐ人が途絶えようとしている。

 歴史的にみて貴重な文化を単なるショーとしてしか受け継がないということは、歴史的損失につながるだろう。実際の湯もみは湯長の秘伝として代々受け継がれるものであり、その湯長を辞めさせてしまっては湯もみの保存は途絶えたと言ってよいだろう。

 ぜひ町を挙げて文化の保存に努めてもらいたいものだ。

 

 

 草津における湯もみの存在。

 

 草津の町は、ともすれば経済を優先して文化や歴史を顧みない傾向がある。歴史として受け継がれたものの価値を理解せず、ただ単に経済的な観点、観光につながるかどうかの視点でしか議論しない傾向がある。

 商売がうまくいく文化なら湯もみをショーとして取り入れ、受け継がれてきた伝統には重きを置かない。草津にはそうした傾向がある。

 それは商売人の町であり、時間湯が湯治客を中心にしたよそ者から構成されてきたという構造的な要因もある。しかし、湯治をしに草津に来て町に定住し、町の発展に貢献してきたものもまた湯治客であったという事実は忘れてはならない。

 事あるごとに草津の外の人という地元民がいるが、そうした分け隔てが現在の湯もみのショー化の傾倒と文化歴史の軽視につながっているのかもしれない。

 この先町が発展し、存在価値を持つために、先人の培った大切な文化である湯もみを保存することは、未来の自分たちの発展に大いに貢献する事につながるのではないだろうか。