時間湯が、実質的になくなったその真相と流れ、その2

時間湯が閉鎖の危機になったのは今回だけではないと話しましたが、

 

今の2湯(地蔵の湯と千代の湯)になるときに、実は

 

一度千代の湯は閉鎖をされていました。

 

それは、湯治の旅館同士の争いが原因です。

 

なぜ、旅館が時間湯について争うのかといえば、

 

時間湯にお客を送り込むことで、利益を得ていたからです。

 

 

時間湯というのは、長期間の湯治をして体を良くしていくのが一般的でした。

そのため湯治客は長期滞在のできる旅館に泊まり、そこから時間湯に通うというのが伝統的な湯治スタイルでした。

 

しかし、時間湯がなくなり、湯治を観光へと進める行政によって、旅館も湯治宿から観光旅館へとシフトしていきます。

 

しかし、残った湯治宿は少なくなった時間湯利権のために争うことになりました。

 

それが、千代の湯をめぐって争った二つの旅館です。

 

一方の旅館は、大手の旅館に時間湯を潰され、

では、地蔵の湯に手を出そうとしたら、出入り禁止にされ、そして千代の湯の利権に手を出したのです。

 

もう一方の旅館は、千代の湯の湯治を握るのをいいことに、湯長の指示に従わず、好き勝手にふるまい。湯治客をコントロールし、本当の湯治とはかけ離れた行為を行いました。

 

そして、千代の湯の利権をめぐって争った結果、風紀は乱れ、暴力事件が起き、湯長が下りる事態にまでなりました。

 

それを憂慮した町が、千代の湯の一時閉鎖を決めたとうのがざっくりとした流れです。

 

 

これからもわかる通り、時間湯を本当に熟知し、時間湯のために本当に働くものがきちんと管理をしなければ時間湯は成立しないことは明白です。

 

つまり、湯長という存在は、管理という面においても必要な存在であったのです。

 

では、もう一つの地蔵の湯はどうだったかというと。

 

 

次回へ続く。